「んむう…」


べったりとガラスに引っ付いて、忌々しげに外を睨む。

そんなを尻目に、俺は本のページをめくった。


静かな室内に響くのは、俺がページをめくる音と、の唸るような声、それと止む気配のない雨の音。










「けえちゃん、」
「駄目だ」
「っ、おそと、」
「雨、降ってんだろうが」
「だって、」


つまんないんだも…

俯いて呟くようにこぼした一言に、思わず笑いそうになった。


こいつ、つまらないなんて言いやがった。
俺といてそんなことを言う女は、後にも先にもこいつだけだろう。
滅多に他人を踏み込ませない、俺の領域に入れてやったのに贅沢なやつだ。


と言ってやりたいところだが、ここにを連れてきたのは俺自身。
連れてこられたと思ったら自分はそっちのけで読書なんて始められたら、文句の一つでも言いたくなるだろう。

その証拠にさっきからちくちくと感じる視線は気のせいではない。

文句を言いたいなら、いや、構ってほしいなら素直にそう言えばいいものを。
変なところで遠慮をするのはらしいといえばそうなのだが、まったく、可愛いやつだ。

内心、ほくそ笑む。


しかし、ずっと同じ姿勢でいたものだから肩や首が少し凝ってきた。

そろそろいいか、と溜め息を吐いてから本から顔を上げた。
凝りを揉み解すように軽く伸びをする。

ちらりと横目でを見ると、俺が動いたことに反応してこちらを見ていた。
うずうず、という表現が妥当だな。


…だから。

だから、そういう視線はやめろって。
笑いが堪えられなくなるだろ。

ページをめくるのにも飽きてきたし、それ以上にの視線がじれったくて仕方がない。

いい加減にしろよ。


栞も挟まずに本を閉じた。


読書?

フェイクだフェイク。
読むわけねえだろ、何回読んだと思ってんだ。


「おらっ、来いよ、お姫さま」


いかにも仕方ないという雰囲気を醸し出して、本をテーブルに置いた。
膝を叩いて合図をしてやると、全く期待を裏切らないリアクション。

俺が構ってやると示してやった途端、嬉しそうに走り寄ってくる様は、まるで子犬のようだ。


ああ、尻尾が見えるような気さえしてくるな。

いそいそと俺の目の前まで来ると、にこりと両手を広げた。


「ん!」


ん、じゃねえよ、と思いつつも、脇に手を入れて抱き上げて向い合せに膝に下ろした。
邪魔だろうと靴を脱がせてやると、何が楽しいのか、にこにこしながらぱたぱたと足を動かして跳ねる。

シャツを引っ張って、けえちゃんけえちゃん、と上目遣いに笑う。

なんだよ、と問うと、んーん、と緩んだ顔のまま意味のわからない返事が返ってきた。


結局のところ、構ってやるといっても特別することもない。
まあいいか、とこめかみ辺りにキスを落としてやった。


と、途端にぺちっと顎を押しやられて、顔が離された。

不審に思い目だけでを確認する。
眉間に寄った皺は不可抗力だ。


「…あ?」
「んー、やっ」


なんだその否定的な反応は。


しかしはというと、言動とはまるで逆で、くすぐったそうに笑っていた。


解せない。

いやだと言いつつも、嫌だと思ってる顔じゃねえだろうが。


とりあえず顎を叩いてる手をやめさせるのにその手を掴むと、空いている手で掴んだ手を叩いた。

仕方なく手を解放する。

痛くはなかったが、面白くもない。


構って欲しいと自分からくっついてきたくせに、両手で突っぱねるように逃げるだなんて不愉快もいいところだ。

これは俺に構えと言っているのか。
いい度胸だな。


そっちがその気ならと、捕まえて更なる攻撃を仕掛けた。
くすぐったそうな声が上がるのは気分がいい。


いくら体を捻ったところで、俺が背中に腕を回している時点での逃げ場はないも同然だというのに。

そもそも、この俺から逃げられるとでも思っているのだろうか、こいつは。










が大人しくなるまでひとしきり構ってやると、ついには笑い疲れて抵抗をしなくなった。

息切れしているのを落ち着かせるのに背中を撫でながら、勝った、と大人気もなく思ってしまったのは胸の内に留めておく。


髪に指を通しながら後頭部の辺りを緩く撫でてやると、気持ちが良かったのかそのまま擦り寄ってきた。


「ねむ…」
「そうかよ」


眠ればいいじゃねえか、と眠気を促すように規則的に背中を叩いてやった。


まあ、あれだけ笑えば、な。


本格的に眠くなってきたらしく、へにゃりと笑って瞼を閉じる。
密着する腹の辺りが熱い。

なんだか俺にまで眠気が伝染してきた気がする。


「…なあ、
「ん…」
「このまま、うちにいるか?」
「、むう…?」
「不自由はさせないし、そうだな、少なくとも一人ぼっちってことはないと思うぜ」
「んーん、」


ゆっくりと息を吐き出すように言葉を紡ぎながら、ゆるゆると頭を振る。

揺れるの髪が腕をくすぐった。


「めえ、なの」
「あーん?」
「まさ、ないちゃう、も…」


いつもよりも舌っ足らず気味にそう言うのと同時に、すうっとが重くなった。
意識はほとんど夢の中で俺と会話をしていたようだ。


まったく、俺の上に乗っておきながら他の男なんかの話をしやがって。
なんて、こいつに言っても無駄であることは分かっているけれども、比べずにはいられないのはもはや癖。
期待通りというか期待外れというか、どっちにしても面白いやつだと思う。


しかし、ないちゃう、か。

ふっと笑いが漏れた。

のくせに、なかなか的を得ていると思う。
そしてあの詐欺師の様子が、何故か想像に難くないところがまた笑えてくる。

まあ、逆も然り、だが。

ああ、揃いも揃って馬鹿馬鹿しい。


そう思って、の掴んでいるシャツに目をやる。
きっと皺に残るんだろうな、とぼんやりと思った。






手持ち無沙汰になって、テーブルに手を伸ばした。
体勢を変えたことでの髪が一房、顔に落ちる。

それが邪魔に思えて前髪を払うと、そのまま額に唇を落とした。

あまりにも無防備に眠っている姿に、なんだか苦笑がこみ上げてきて、目を閉じた。


「Good night, my little princess」



小さく呟いた言葉は、静かな部屋に残ることなく雨音に溶けていった。















閉塞世界




















(090610)



   戯