ゆらゆらと浮き沈みを繰り返していた意識が、咳によって引き戻された。
あたまがいたい。
のどがいたい。
ひとしきり咳き込んだ後、ふうと息を吐き出して天井を見上げた。
だるい身体を引きずって下に降りると、母親に会うなり顔色が悪いと言われた。
熱があるんじゃないのと体温計を押しつけられ、測ってはみたけど熱はない。
まあ予想はしていたけれど。
熱は出ないからそれなりに動けるというのがいつもの私の風邪だけど、今回は頭は重くて動く気にならなかった。
風邪かな。
そう思って今日は休むと母親に伝えると、あっさりと了承してくれた。
ついでに学校にも連絡をしてくれた。
ありがたい。
声でないし、何より電話は苦手だし。
病院に行く?とも言われたけど、面倒だからいいよ、と言うと心配そうな顔をされたけど、適当に返事をして部屋に戻った。
母親からお昼頃に電話があって一旦起きたけど、また眠っていたようだ。
寝たときよりは楽になってる気がする。
…今何時だ。
そう思って枕元に手を伸ばす。
サイドボタンを押して時間を確認する。
表示された時間は16時を過ぎていた。
今、蓮二は部活だろうか。
ふとそんなことが頭に浮かんだが、怠くて目を閉じた。
ひやりと何かが触った感覚に、ふっと意識が戻った。
目を開けると部屋の照明を遮る人影が見えた。
「んー…?」
「おはよう」
起こしてしまったか。
落ち着いた声に誘われるようにゆっくりと何度かまばたきをする。
すると、ぼんやりとした影がはっきりして見慣れた顔が見えてくる。
「…れんじ」
「ん?どうした?」
ほんの少し笑みを浮かべながらすっと私の前髪を払った。
汗で額に張り付いた前髪がなくなり、視界が広くなる。
それと同時にさっき感じたひやりとしたものがなくなった。
そうか、あれは蓮二の手か。
彼の手が夏場でもひんやりとしているのを思い出した。
冷え症なのかと思えばそういうわけではなく、むしろ冬場とかは私の方が冷たくなる。
なんて都合のいい…と思ったのが記憶にある。
まあ夏は冷たいし冬は温かいしで助かると言えば助かるんだけど。
そんな蓮二の魔法の手が離れてしまったのをぼんやりと残念に思っていると、裏返しにして額にあててくれた。
手のひらとは違ってかたかったけど、冷たさが気持ち良くてふうとため息が出た。
「きもちー」
「…熱いな」
「うーん、ねつはないはずなんだけど」
「上がったのかもしれないな」
体温計を借りてくる、と立ち上がろうとした。
別に看病して欲しいわけじゃないしと、制服の袖を掴んで阻止する。
…あれ?
そこで気がついた。
そういえばなんでこの男はここにいる?
玄関は鍵が掛かっているはずだし、1人しかいないはずの家人は今まで寝ていたし。
いくら蓮二でもうちの鍵を開けたり…しちゃうのかな。
いやまさか。
「ね、ねえ、」
「妹さんが入れてくれたんだ」
「へっ?」
思いっきり顔に出ていたらしく、苦笑しながらそう教えてくれた。
妹が帰ってきてる?
一体何時なんだと枕元に手を伸ばすと、18時半だ、と上から聞こえた。
18時半、というと…
「ぶかつは、」
「少し早めに切り上げてきた。そうでもしないと家に寄れないからな」
「…べつにいいのに」
視線を外して、ず、と鼻水をすすった。
少し心苦しい。
会いたくなかったわけではなかったけど、部活を切り上げてまで欲しかったかと言われればノーである。
ドライと言われればそれまでだけど、咳き込んだりしているときに人に会うのは気が進まなかった。
喉痛いし鼻声だしね。
ただでさえ気遣える余裕なんてないのに、うつるとかってやっぱり気になるところというのもある。
いたって健康体な蓮二にうつるとは思えないけど。
…まあ、下手にうつして幸村に嫌味を言われたくないってのは少なからずあるけれど。
「はあ。うつってもしらないよ?」
「俺が来たかったんだ」
「…きてくれたのはうれしいけど」
「今の体調なら大丈夫だろう。つまり、お前が精市に嫌味を言われることはない」
「…もうしわけない」
なんかもう色々と。
おまえの考えそうなことだ、と言われてしまえば頭を下げるしかない。
横になってるからできないけど。
「…さて、帰るか」
軽く自己嫌悪していると、すっと立ち上がった蓮二の影ができた。
「少し顔を見にきただけだからな」
元々長居するはなかった。
そう言って荷物を持ち、私の前髪を梳いた。
部屋から出ていく後ろ姿に、ありがと、とぼそっと呟くと、ドアのところで立ち止まって振り返った。
「また明日な、」
そう微笑むとドアの向こうに消えていった。
魔法の指先
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