084:誘惑に攫われ
血が足りない。毎月のことだから慣れてはいるけれど、この倦怠感と目眩はどうにもならない。伊作は理解があるから甘やかしてくれる。それをいいことにごろごろしていると、医務室の戸が開いた。
「伊作……と何やってんだ、」
食満はそう言いながら伊作の前に腰を下ろした。ぼんやり伊作と話す食満を眺めていると、前に伊作が非の打ちどころのない健康体だとかぼやいてたのを思い出した。血の気も多そうだもんなあ。ん?血の気?
199(110821)
088:なけなしの想い
「どうして」
そう言った恭弥の顔は不快感に満ちていた。
「何故、貴女まであいつらと一緒に行くのかって聞いてるの」
自分より少し高くなった、彼の咎める目から逃げるように足元に視線を落とした。すぐに恭弥によって、顔を上げられたけれど。
「ねえ。何か言ったらどうなの、」
他人との接触を好まない恭弥が掴んでいる自分の袖を眺めた。知らなかった、わけではなかったが、存外に好かれていたのだな、とぼんやり思った。
196(130320)
091:祈りを捧げても
「駄目だよ、」
何がです、と問うの目を手のひらで覆った。
父親に似た、つり眼気味な彼のことを思い出す。今はまだ幼さが抜けきらないが、あと数年もすれば立派な大人の男になるだろう。仕事に関しても優秀な彼のことだ。忍ぶ身ではあるけれど、彼を知る者は彼を放っておかなくなるだろう。
……この子も、例外ではないのかもしれない。
覆った手に唇を寄せた。
「お前は知らなくて、いいんだ」
この目に映すのが私だけ、なら。
198(120519)
092:見えない聞こえない
呆気ない。
そう思いながら先輩を見下ろした。押さえつけている二の腕の細さに驚いた。あの頃の僕には大きく見えたけど、こんなに小さい人だったのか。
「先輩は小さく、なりました、ねえ」
「……平太が、大きくなっただけだと思うけど」
そう、ぎこちなく笑った。ふと、乱れた先輩の前髪が目に入った。あの頃の自分には決して届かなかった場所。唇で額に触れると先輩が僅かに息を飲んだ。
ああ、このまま連れ去ってしまおうか。
199(130320)
093:お願いだから
「あらら、お疲れさん」
の寝間着の様子に、察することは容易かった。
「お前、また……忍務でもないのにそんなことを」
「だって文次郎が、好きって言ってくれないんだもの」
「……言ったら、やめるのか」
「んー……どうだろう。でも」
言葉を途中で切ると、触れそうなくらいに近付いてきた。
「文次郎だけにしたくなるかもしれない。ねえ。だから、言ってよ」
至近距離で合ったの目が存外に真剣で、俺は動けなくなった。
195(120303)
095:逃げられない
「この間、偶然見てしまったんだけど」
背後で呟かれた言葉に、思わず振り返った。壁に寄り掛かったその人は、馴染みのない顔である上に忍装束でもないため、学園の先生ではないのだろう。
「あの?」
「土井先生」
その人が口にした名前に目を見開いた。私の様子にくすりと笑うと、壁から背を浮かせて私に向き合った。
「あの真面目な先生がまさか、ね?」
面白いものを見つけたと笑う目の前の人に、逃げ出したくなった。
193(120519)