先輩、」


不意にかけられた言葉に振り向いた。

ちょうど窓から入ってきた風が声の主の髪を揺らす。


「えっ…と?」


目の前の男の子は全く知らない人ではなかったけど。
一方的に彼を知っていただけで、まさか私の名前を知っているとは思わなかった。

一体何の用だろうと、彼が続ける言葉を待つ。


彼は一瞬目を泳がせたあと、何かを決めたようにまっすぐと視線を私に向けた。


「あの、」










さん?」


鼓膜を振るわせる怪訝そうな声に意識を取り戻した。


お腹に巻き付く腕に力が入った。

そして、今の自分の状況を思い出す。

そういえば、声をかけられたと同時に後ろから抱きすくめられたんだった。
後ろの人物が何をするわけでもなかったから、そのままにしておいたのだけれど。
背中に感じる温もりに、ほんの僅かだけど微睡んでしまったようだ。

立ったままなのになんて器用な。


しかし、と微睡んでいた間のことを思い出して、小さく笑った。

あのときの若は可愛かった。
無愛想で無表情なのは今も変わらずだけど、数年経った今ではすっかり男の人になってしまった。
私に巻き付くこの腕も随分逞しくなって。


なんて考える自分の思考が、なんだか年寄り臭くて感じてまた笑った。


なんですか、と不機嫌な声が聞こえた。

振り向かなくたってわかる。
眉間の皺が目に見えるよう。


「ん?あの頃のわかしくんは可愛かったなあってね」
「…頭、大丈夫ですか?」
「…間違えた。今もだったかー」
「あまり不愉快なことを言わないでくれませんか」


そう辛辣な言葉を吐いて、更に体を密着させる。

言ってることとやってることが矛盾してるよ、わかしくん。


…と、まあ、それはいいのだけれど。

私は今の状況を説明して欲しいかな。
いきなり後ろから抱き締めて無言だなんて、短くない付き合いとは言え、流石に理解に苦しむよ。
理由が知りたいんだけどな。

なんか色々突然すぎてお姉さんちょっとびっくりしてるんだって。


「で、若」
「なんですか」
「どうして君がここにいるのかな」
「俺がここにいると何かまずいんですか」
「いや、そんなことはないけど、」
「けど?」
「珍しいなって。ここ外だし、若は抱きついてるし。なんか、あった?」


本当に、珍しい。

こんな風に連絡もなく会いに来るだなんて、今までなかったことだったから。
ましてや、人前でこんなこと、なんて。


少し若が心配になった。

何か嫌なことでもあったのかな。
いやでも、それくらいで私に会いに来るような人間じゃないし。
余程のことがあったのだろうか。


元々、あまり連絡を取らないというのが私たちで。
若がメールや電話をあまり好まないし、私も似たようなものだから、必然的にそうなったのだけど。

だから連絡をとるときは用件のみってのが断然多い。

たまに私が可笑しな写メを一方的に送りつけたりすることはあるけれど。
大抵小馬鹿にした内容が返ってくるんだ、若からは。


「あー…もしかしてあれ?恋しくなっちゃった、とか?私が」


すっかりだんまりを決め込む若に、このままじゃ埒が明かない、と一言。

どうせ鼻で笑われるのが落ちだとは思うけど。
それでも、無言よりはそっちの方がずっとマシなのは確か。


「…いけませんか」


そんなわけないでしょう。


呆れた声とともに、そういうお決まりの答えが返ってくると思っていたのに。

予想外に素直な答えに激しく動揺した。


一体どんな顔してそんなことを言うの。
気になって腕の中でくるりと向きを変える。

目の前の光景に目を見開く。


ちょっと…これは。


若はばつが悪そうにそっぽを向いていた。

真っ赤に頬を染めて。


さん、最近メールをくれないでしょう」
「…そうだった、かな」
「そうですよ…」


言いにくそうに、ばつが悪そうに、言葉を紡ぐ若になんだか私まで恥ずかしくなってきた。


ある意味、あそこで方向転換したのは間違いだったかもしれない。

こんなの、反則だ。
いつも通りに皮肉ってくれればいいのに。

ああ、もう。


そう思って少し俯くと、溜め息とともに頭に軽い感覚が落ちてきた。

それが離れるのと同時に顔を上げると、若はいつもの無愛想な無表情に戻っていた。
少し残念な気もしたけど、まだ頬はほんのりと色付いていたことに気付いて少し笑うと、笑わないでください、と拗ねたように言う若がおかしかった。





「写真のだけでも送ってくださいよ」
「ああ、あれ。ふふ、面白いでしょ?」
「くだらないですね。まあ悪くはないとは思いますが」


素直じゃないなあ。

でも、悪くはないってすごい褒め言葉だよね。
まったく、天の邪鬼。さっきくらい素直に言ってくれればいいのに、なんて。

やっぱりこれくらいが丁度いいのかも。
あんなの毎回見せられたらこっちの身が持たないもの。








さん。今日、泊まっていってもいいですか」
「全然いいよ。あ、さんてば今日は洋食の気分なんですが、とっても」
「…仕方ないですね」
「そんなこと言って、若は食べるだけでしょー」
「片付けくらい、してあげてもいいですよ」















…悪いですか?




















(090331)



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※みつれん的認識in日吉若

・先天性のツンデレ
・…と見せかけてただのデレ
・赤面症