「駄目に、決まってるだろ」
 越しに、無表情の伊作が立っていた。
 伊作はの頭を掴むと、乱暴に俺から引きはがして後ろに投げ飛ばす。鈍い音と、の呻き声が聞こえた。
 しかし、伊作はそれを気にするそぶりもせず、俺に手を差し出した。ありがたくそれを掴んだ。
「悪かったね、留三郎」
「い、いや」
 体勢を立て直し、ついでに着崩れた寝間着も少し整えた。
「僕の監督不行き届きだ」
 伊作は、ふう、と溜め息を吐くと、後ろに転がしたに声をかけた。

「……なによう」
 伊作が振り返りながら体をずらしてくれたおかげで、を見ることができた。
 の格好は伊作に転がされたせいでさらに乱れ、非常に目の毒な状態になっていた。大きく開いた袷から谷間が見えるどころか、太股の際どいところまで寝間着が捲れている。そんな状態なのに膝を立てる、から。
「さっさとそれ、どうにかしなよ」
 伊作の声ではっとした。
 を凝視していたようだ。しかし、これは不可抗力だよな。そうだ、仕方がない。
「めんどくさいー」
 は不貞腐れて頬を膨らませていた。
 さっきまで俺を……襲ってた、やつとは思えない。あんな表情もするのか、あいつ。
 伊作はに近付くとさっさとの寝間着を整えてしまった。惜しいだなんて、思っていない。
「僕だけにしてって言わなかったっけ」
「言ってたけど」
「じゃあは何してるのかなあ」
「私はねえ、伊作の体調を考えて、」
「味見がなんだって?」
「……ちょっとくらい、いいじゃないの」
 言い終わったところでちょうどと目が合って、妖しく微笑まれた。
「ねえ?」
 それと同時に伊作も俺の方を振り返った。
「へっ?」
 伊作は、無表情だった。
 俺は、無気力で無表情だと思っていたやつの見たこともない姿に、すっかり気を取られていた。
「まあ、いいや」
 そう言うと、は音もなく立ち上がった。
「まだ機会はあるもの。またね、留三郎」
「次もないからね、
 伊作の言葉さらりと無視して、はひらひらと手を振って部屋から出ていった。
「なんだったんだ……」
 戸が閉まると同時に肩の力が抜けて体勢を崩した。なんだかどっと疲れてしまった。
「しっかし、驚いた……」
 そう言いながら横目で伊作を見ると、俯いていて表情が見えなかった。ついでになんの反応もない。
 なんだか微妙な空気になってしまった気がする。
とまともに会話したなんて初めてだな。いつものあれはなんなんだろうな。わざとなのか?あと味見?とかも言ってたな。そ、そういう趣味のやつもいるんだな……ははは。なあ、伊作。お前、知ってたのか?知ってるに決まってるか!お前ら幼なじみだもんなあ。ああそういえば、がお前の体調がどうとか言ってたけど、もしかしてあの体調不良のことと何か関係あるのか?どうなんだ?」
 返事がない。一方的に話してしまったが、少しくらい反応してくれてもいいんじゃないか。一人で話している俺が馬鹿みたいだろ。
「なあ、伊作?どうし、」
「ねえ、留三郎」
 ゆっくりと顔を上げた伊作の顔に驚いた。
 ――なんだ、この、目は。
 普段はにこにこと笑みを浮かべている伊作にしてみれば無表情も中々珍しい部類に入るが、実習中ならよく見る表情だ。しかし、この底なしに真っ暗な目を見たのは初めてだった。
 ――お前、どうしたんだよ?
「うっかりに食われたりしないでね?僕だけの特権、なんだから」
「あ、ああ。うん、わかった」
「それなら、いいよ」
 そう言って目を細めて伊作は笑った。
 見なれた笑顔のはずなのに、全く別のものに見えたのは俺の気のせいではない、はず。
こぼれた愛をすすって生きる
(120211)



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企画:「あやしあやかし」さま